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ドイツ表現主義コレクション / 英国議会文書 ブルーブック

ドイツ表現主義コレクション

本学は昨年度,文部省の大型図書購入特別予算を得て,「ドイツ表現主義コレクション」の設置を見た。 図書館報のこの場を借りてその一端を紹介したい。

バウハウスを中心に


 表現主義と特に第一次世界大戦後のドイツの芸術運動の一つの組織だった中心は,有名なバウハウスであろう。 バウハウスの創立者である建築家のワルター・グローピウスはバウハウス最初期の宣言書に, この時代の芸術は「建設」( Bau ) でなければならないと書いた。 このキーワードは,様々な芸術活動が建築において統一されるべきだという当時良く言われた建築主導の芸術の統合を目指しただけではない。 それは後にいっそう明確化されるように,人間と人間を取り巻く世界の本質を,それにこびりついた贅肉と虚飾を洗い流して現実にかたちあるもの, 現実的な機能性を持つものにしようという造形意志の表明でもあった。 このように意識された課題は基本的な幾何学的形態を軸に追求されていったわけだが, こうしてグローピウスの歩みはそのころヨーロッパ各地で興った新しい芸術の歩みと歩調の合ったものとなった。 バウハウスを軸に展開したこのような新しい芸術運動の動向のドキュメントと言えるのが, グローピウスとモホイ=ナジが編集した全十四巻からなる"Bauhausbuecher"である。 そのなかにはグローピウスの "Internationale Architektur", パウル・クレーの"Paedagogisches Skizzenbuch", ワシリ・カンディンスキーの"Punkt und Linie zu Flaeche", モホイ=ナジの"Malerei, Fotografie, Film"をはじめとするバウハウス教授陣の著者のほか, ロシア抽象画の始祖マレヴィッチの"Die gegenstandslose Welt", グレーツの"Kubismus"や, テオ・ファン・デースブルクの"Grundbegriffe der neuen gestaltenden Kunst", ピエト・モンドリアンの"Neue Gestaltung", P.P.アウトの"Hollaendische Architektur"などのオランダ「デ・スティール」の芸術家たちの著作が含まれている。 またそれ以外にバウハウスを知るうえに重要な"Staatliches Bauhaus in Weimar 1919-1923"が出版されている。 これらの文献は,現在では Florian Kupferberg Verlag の Neue Bauhausbuecher に初版や第二版のファクシミリ復刻版があって誰でも容易に参照できるが, 今回の大型コレクションに納められたオリジナル版は稀覯本といってよい。 この珍しい本を手にしてページをめくったとき写真版や図版の鮮明さに驚かされたが, カンディンスキーの本のなかの図版のいくつかが手作業で色づけされているのにはびっくりした。 それにモホイ=ナジによる本の体裁のデザインに触れられるのもオリジナル版ならである。 ただ残念なのは,モンドリアンとデースブルクの著作のオリジナル版が入手できなかったことだ。 大型コレクションにはこの時期に発行された数多くの雑誌のリプリント版がはいっていてバウハウスを広く当時の芸術運動の中で位置づけることができる。 ハノーヴァーで発行された"Das hohe Ufer"(1919-20)にはグローピウスがいくつかの文章を寄せている。 ベルリンの"Der Querschnitt"(1921-33)の21年9月号の論文などとともにまだ表現主義的な色彩の強いもので, 同じ「芸術共働評議会」のメンバーであったブルーノ・タウトなどの影響下にあったのではないかと思われる。 ポツダムの"Europa Almanach"(1925),ケルンの"A bis Z"(1929-33), アムステルダムの"i 10"などからはバウハウスとすでに述べたオランダやソヴィエトの前衛芸術との繋がりがうかがえる。

(山本 淳助教授)



表現主義の文芸雑誌

 Kurt Hiller が当初反自然主義的,反印象派的なスタイルの,若いフランス画家のグループを指していた「表現主義」という 概念を文学的カバレットやカフェーあるいは新しい雑誌や出版者に集まった前衛的な詩人グループの自己諒解に用いたのは 1911年の事である。 雑誌は芸術家・詩人の個人的問題意識を個の枠を越え時代の中において捉えることを可能にするフォーラム,共同体であり, 「表現主義」という総合運動にとって構造的な意味を持っており,表現主義研究にとって欠かすことのできない素材である。 この雑誌を舞台とする表現主義運動の出発点は1910年創刊の "Der Sturm"と1911年の"Die Aktion"であるが(註) これに"Die Buecherei Maiandros"(1912),"Das neue Pathos,Revolution"(1913), "Die Argonauten","Das Forum"(1914)と続く。 またオーストリアのインスブルックは1910年に "Der Brenner"が創刊されている。 (註 : 両誌は今コレクションには含まれていない。 なお"Der Sturm"の発行者 H. Walden の論文として "Expressionismus-die Kunstwende"が Bibliothek des Expressionisumus の一巻として 他の多くの作品とともにコレクションに加えられている。) 表現主義の文学の社会変革への機能を重視する方向については先行世代の H.Mann の影響が極めて重要であるが, "Pan"は彼の作品を掲載,高く評価した。 K.Hiller は "Das Forum“ 誌上で全ての存在するものに対する闘いを宣言し, 「世界の変革」を目標として掲げた。 同誌及び"Pan"の発行者 W. Herzog はその創刊号で戦争回避の為の知識人と労働者の共闘を呼びかけている。 同誌は1915年に発禁になり,戦後1918年に再び発行される。 "Revolution"も既存の市民社会に対する批判を掲げ, E.Muehsam,J.R. Becher,H. Ball らが作品を寄せている。 第5号では心理学者O. Gross 拉致事件の特集を組み,「精神」の名による変革を求める若者と硬直した 大人の社会との対立を父子対立に見,表現主義文学のモチーフのアクチュアリティーをよくみることができる。 "Wiecker Bote"も反抗的な若者による反抗的な文学を求め, 発行者 O. Kanehl は「政治的になれ」と呼びかけているし,"Die neue Kunst"もこの方向に数えることができる。 若者の焦燥感は無料のビラという表現形式をとることもあり,  "Die Dach stube"はこの例である。 第一次大戦下の厳しい検問が敗戦によって廃止され,革命運動が起きると平和主義的,社会改革的な雑誌が数多く発刊され, "Die Buecherkiste"は,1918年11月以来まとまった文学作品の出版が減少し, 社会的な問題に対する立場表明をする雑誌が増えている,と確認している(1919)。 "Die Erhebung"はそのような行動的文学プログラムを宣伝する一つの中心である。 その他には"Aufschwung","Der Weg", "Die Erde"などがある。 硬直化した資本主義的市民社会との対立は既存秩序の破壊や変革を目指す方向と共に, 特に近代的大都市における自己の解離,状況の不透明感などから詩人の中に不安,無気力,懐疑を惹き起こし, 叙情詩に作品として結晶する。 G.Heym,G. Trakl,G. Benn,A. Stramm らがその代表的詩人であるが, 彼らの作品は"Der Brenner","Das neue Pathos", "Die Dichtung"などに残されている。 "Die Dichtung"は1918年の発刊であるが,作品評価の基準を芸術性にのみ求め, 「政治的芸術」を拒否している。 同様に文学の政治への傾倒に対する批判から出発した雑誌としてはM. Brod による "Arkadia"(1913)と戦中から "Marsyas", 後に"Die Horen"などが出されている。 "Arkadia“ は先行する世代によるものということができるが, これにはH. Hesseによる"Maerz","Rilke", "Hofmannstahl"らが作品を寄せた "Hyperion"を加えることができる。 その他にも様々な詩人・作家の活躍の舞台となった雑誌が今コレクションにはいくつか含まれている。

(浜島昭二助教授)
(「ΑΛΗΘΕΙΑ」 No.4より抜粋)

英国議会文書:ブルーブック

「英国議会文書:ブルーブック」随想

-附属図書館長就任の挨拶に代えて-

 出会いにはいろいろな対象がある。人と人との出会いは最も一般的である。 しかし,人生をかりに80年としても,われわれが一生の間に知り合いになる人々は, せいぜい自分が生活しているコミュニティの範囲に限られてくる。
 それに対して,人とは違う出会いとなると,例えば音楽,絵画のような芸術作品などのように有形のものから無形のものまで数限りなくあり, その中には人と人との出会いに勝るとも劣らず,大きな影響を与えるものがある。
 それが知識の宝庫である書物の場合には,なおさらそうであろう。 稀覯本(きこうぼん)のような貴重な本から,路傍のほこりにまみれた冊子にいたるまで,生きるための指針となったり, 時には人生そのものを変えてしまう要因となったり,また人生でこだわりとなって深く心に残る場合がある。 私にとってそのこだわりは15年前にさかのぼる。 文部省の在外研修で渡英したのは,技科大が開学してちょうど3年目, 1980年のことであった。 それまである大学の文学部で英文学を教えていた。 工学系の大学に移ってきて,英語教育が専門でないのに英語だけを教えるということには,大きな決意が必要であった。 しかしその決意は新構想大学という新天地で,新任の教職員,学生全員が一体となり, 一から伝統作りをしなければならないという使命感に同化したのである。  この在外研修は「国立大学等の英語教員」の英語研修が目的で,このプログラム自体はすでに存在していたが, 幸いにも技科大の英語教官に初めてこの年に門戸が開かれた。 技科大にふさわしい英語教育とは何かを模索していた時であったので,「渡りに船」とばかりにこれに応募したのである。 研修は最初の1か月は Essex 大学の学生寮で,次の一ヶ月はキャンパスの近くでホームステイ。 最後の一週間は英国事情の調査・見聞という自由な形で終わったが, とある1日チャーリング・クロス (Charing Cross) にある Foyle's という本屋に行ってみた。
 今年久しぶりにロンドンを訪ねて,この本屋がもうロンドンで最大の本屋でなくなっていることを知ったが, それでもここにいけば今でもあらゆる種類の本がそろっている。
 そこで初めて英国産業考古学の書物に出会った。 19世紀の英国に興味があったので早速何冊か買い求めた。 そのとき同じコーナーに「 Nature & Industrialization 」という本があるのに気がついた。 表紙は真っ赤に溶解炉が燃えているあの有名な「コールブルックデールの夜景」という絵* である。 中身は自然破壊か公害に関するものかと思ったが,そうではなく,アンソロジー (英詩文選) であった。  この本は Open University Set Book として1977年に初版が出版され,それ以来毎年のようにリプリント版がでている。 この中に収められているのは,1700年代から1800年代の英国で, 工業が最も急激に発達した産業革命期に書かれた詩や散文から選ばれたものである。 その中には必ずしもワーズワーズ,ディケンズ,マルクスのような著名人ばかりではなく, 報告書やアノニマス (作者不詳) のバラードなども含まれている。 実はこの本の中に英国下院の毛織物産業に関する特別委員会,さらに児童労働委員会, 救貧法委員会などの報告書からの抜粋がある。 このような資料があれば,19世紀英国研究にどんなに訳に立つことかと思ったが, 何分にも膨大な英国議会資料であるために諦めてしまい,資料調査をする努力を怠ったことが悔いとなり, 長い間心の中にわだかまっていた。

 *フランス画家ドゥ・ルーテルプールが1780年代に描いたと推定されており,ロンドンの科学博物館にある。

 ちなみに,産業考古関係の書籍は,社会的な背景の中で19世紀英文学を見直そうという命題へのアプローチのために購入したのであり, 研修から帰国した後,工学と文学との接点を求めようとした私の技科大での存在意義に,大きくかかわることになった。

 あれから15年。今度は別の形で再び19世紀英国議会文庫にお目にかかれるとは夢にも思っていなかった。 大型コレクション申請のため参考用のカタログにブルー・ブックが入っていた。 Blue Book というのは,White Book と同様に青表紙や白表紙の議会または政府の報告書のことである。 この Irish University Press (IUP) 版は「膨大な原資料の中から主要な社会・政治的資料を 1,000 巻にまとめ, それらが項目ごとに年代順に配列・整理されたもの」ということであった。 さらに,内容的に「人口」,「食料・薬品」,「住居」,「動力」などの各種の問題が含まれていたので, 人文・社会工学系のみならず,他の全ての工学系にも重要な資料であると思い, 工学専門の数名の教官に協力を依頼して文部省に申請し,承認されたものである。
 現物の総重量は 3.5 トン。総額は 1,000 万円以上。 ブルーではないが濃緑色の表紙の英国議会文書を目の当たりにして,身体が震える思いがした。 聞くところによると,全国でも大学を含めて三大学しかない貴重なコレクションであるとのことだ。 この項目を大きいものから挙げてみると, 「植民地」 226 冊,「教育」 103 冊,「奴隷売買」 95 冊,「産業革命」 65 冊, 「犯罪・処罰」 63 冊, 「健康」 48 冊,「農業」 36 冊,「金融政策」 31 冊, 「政治」 30 冊,「救貧法」 30 冊,「都市地域」 29 冊, 「燃料・動力」 28 冊, 「人口」 25 冊,「運輸」 22 冊,「司法行政」 22 冊,「貿易・産業」 11 冊, 「保険」 10 冊,「国家財政」 10 冊,「社会問題」 9 冊,「船舶安全」 9 冊, 「飢饉」 8 冊, 「郵便・電報」 8 冊,「漁業」 8 冊,「陸海軍」 6 冊,「結婚・離婚」 3 冊,「舞台・劇場」 3 冊, 「人類学」 3 冊,「宗教」 3 冊, 「発明」 2 冊,「新聞」 2 冊,それに「索引」が 9 冊。  これを見ただけでも,当時の英国政治の関心事が一目で分かる。
 15年間のこだわりの契機となった前述の箇所を早速調べてみた。 すると「産業革命」の「 Children's Employment 」第2巻 454ページに下院児童労働委員会の証言記録として確かに載っていた。 載っていない箇所はたぶん別のシリーズにあるのであろう。 この証言記録の内容については,紙面の都合上省略させていただくが, 長年わたしの心の中にわだかまっていたあのこだわりは,おなじ活字,同じ文章を目でおっていくにつれて, いつの間にか消えてしまった。
 このIUP版シリーズは 6,000 冊の中の 1,000 冊にすぎない。 しかしこれだけの資料からも19世紀英国の世界的な躍進の全貌は充分に理解できる。  附属図書館長就任の最初の仕事としてこの大型コレクションを紹介できることは,誠に喜ばしい限りである。
 この資料は様々な分野から19世紀英国を研究しようとする人々にとって大いに役立つことであろう。 本学の単なる蔵書の一部として死蔵されるのではなく,広く学内外の研究者に活用されることを切に望みたい。

(大呂義雄教授)
(「ΑΛΕΗΘΕΙΑ」 No.14より抜粋)

 (注:執筆者の職階は,図書館報「ΑΛΕΗΘΕΙΑ」No.4, No.14 執筆当時のものである。)